Stairway to Heaven

2007年4月27日(2020年1月19日補充)

団藤重光先生の刑法綱要総論の索引を見ると,「客観・・・」が「か」のところに入れられている。恩師,中谷瑾子先生が,いつも「客観的」を「かっかんてき」と発音されていたことを思い出す。

学生時代,ある本の索引で「行態」が「ぎ」のところに入っていたので,「ぎょうたい」と読むのだと信じ込んでいた。この語の作者の福田平先生が,講義中に「こうたい」と発音していらっしゃるのを聞いて,正しい読み方に訂正できた。

中谷先生は「自手犯」を「じてはん」と読んでいらっしゃった。「自首」と紛らわしいからというのが理由であった。この点ではしばらく恩師に従っていたが,あるとき,ある大家の先生の前で「じてはん」と言ったら,「じしゅはんだ,ばか」という感じで言われたので,それからは「じしゅはん」と発音している。

若き日にご指導いただいた中野次雄先生は,「最近,牽連犯を『けんれんぱん』と呼ぶ若い人がいて嘆かわしい」と語っておられた。教科書にも,「けんれんはん」とルビをふっておられる。しかし,どうも最近は「けんれんぱん」説が多数になってきたようである。

中谷先生は,研究テーマの1つが結果的加重犯であったが,先生をはじめとして,当時の私の周囲の先生方はみな「かちょうはん」と言っていた。しかし,山口厚氏のように「かじゅうはん」と読む人も多い。

「業務主」や「事業主」もどう読むかはっきりしない。ある著名な刑法学者は,前者は「ぎょうむしゅ」,後者は「じぎょうぬし」と読むといっていた。その理由は,語感がベターだからという。

文書偽造のところで出てくる「虚無人」「架空人」もよくわからない。私は,「きょむにん」「かくうじん」と読んでいる。その理由も語感である。

「人証」も難しい。松尾浩也先生の刑訴法の教科書には,「じんしょう」というルビがふってある。しかし,「にんしょう」と呼ぶ学者・実務家も多い。

「井田良」は,「いだりょう」ではなく,「いだまこと」である。あるところでの講演の冒頭で笑いをとろうとして,「『いだりょう』と書いて『いだまこと』といいます,『いだりょう』のほうが『いいだりょう』という人も多いのですが」としゃべったら,まったくうけなかった。

 

So What

2007年5月1日

小川隆夫氏の『マイルス・デイヴィスの真実』を読みながら、以前のCDを聴く。昔から、「カインド・オブ・ブルー」と「1958マイルス」の音の感じが、それ以前と、またそれ以後と比べても非常に違うという感覚があった。小川氏の本を読んで、それがビル・エヴァンスという白人的要素のためということが分かる。そう考えると納得がいく。それにしても、普通だったら、「カインド・オブ・ブルー」の路線をしばらく継続するものだが、と思う。そういえば、キース・ジャレットが、「マイルスは、過去のものを繰り返すぐらいなら、どんなにひどいメンバーと一緒でもよいから新しい音楽をやることのほうを選んだ」と語っていたっけ。

マイルスを聴きながら、刑法総論関係の最近の論文を収録した『変革の時代の理論刑法学』の校正作業をする。自分の過去の論文(14編)が新しく印刷されたものを読み直し、文章表現などをほんの少しずつ修正しながら、簡単な解題(自分の論文について解説する文章でも「解題」というのかしら)を書く。とにかく解題を書くのにやたら時間がかかる。それにしても、慶應義塾大学出版会の岡田智武さんが無数に入れてくれる丹念な鉛筆書きのコメントを見ると、頭が下がる。こんな私の論文集をぜひ出したいと申し出てこられ、しかも本のデザイン等についてデザイナーの方とあれこれと一所懸命考えてくれるのだから、本当に申し訳ないことである。頭が下がって地面にめり込む思いである。 

収録した論文は、最も以前のものでも10年ほど前のものであるが、古いものであればあるほど未熟だなあと感じる。しかし、それでも全体として進歩の跡などは感じられない。手をかえ品をかえ、私にとってのSo Whatとそのバリエーションを吹き続けているのだ。それがあのような名曲であればまだ救われるが、そうではないのだから「あなた、噴飯物よ」(恩師、中谷瑾子先生の口調を真似ながら言う)。

それにしても、On Green Dolphin Street、心に染みる。

One More Cup of Coffee

2007年5月5日

論文集『変革の時代における理論刑法学』の校正を終え(といっても初校)、1万字の著者解題を書き、調子に乗って「はしがき」まで書き終えて、慶應義塾大学出版会の岡田智武さんに送付した。表紙のデザインにも凝ってくれているので、きっと素敵な外見の本になるであろう。ほっと一息ということで、授業の準備の仕事に戻る。6月には2人のドイツからの訪問者の講演を何とかオーガナイズしなければならない。今のうちに授業の準備を進めておかないとひどい目に遭うであろう。

ところで,『述』という市販の雑誌(明石書店)があり、近畿大学国際人文科学研究所紀要なのであるが、大学の紀要というにはあまりにも素敵なデザインだ。これに文芸評論家の青木純一という人が「刑法と言語」というタイトルで、私の『刑法総論の理論構造』の書評を書いてくれている。この本の最初で、またおそらく最後であろう書評が、こういうところでこういう形で出されるのは驚きだ。しかも、著者としておこがましいのであるが、きわめて正確に私の主張の内容を要約して、まとめてくれている。ただ、最も驚かされたのは、あの本が「刑法と言語」という側面から一貫して読むことができるという事実だ。著者に手紙でも書きたい誘惑に駆られるが、ひそかに感謝するにとどめておくべきなのであろう。

コストコで購入した、おそらく一杯分10円程度の簡易ドリップコーヒーが意外においしい。私は浪費家なので、200グラム2000円以上のコーヒー豆でも何の躊躇も抵抗もなく買ってしまうが、ドトールの簡易ドリップ式のコーヒーなど、とてもおいしいので愛用している。今回、コストコで見つけた激安品もおいしいので感動しているのだ。コツは、カップ半分ぐらいしか作らないことだ。一杯10円なのだからここでケチって3杯分とか作ろうとすると天罰が下る。大空が割けて頭に雷が落ちるのだ。そして、入れるのは茶色いコーヒーシュガーでなくてはならず、また少し多めでなければならない。また、クリープ(ニドやブライトではダメ)を少量入れる必要がある。こうするとなかなかいけるのだ。

新宿にある某有名ホテルの1階のラウンジのカウンターに腰掛けて時間をつぶすことがある。コストコのコーヒーよりもおいしくないコーヒー1杯で最終的には2000円ほど払うことになるが、長居をすることが多いし、静かに本が読めるので、気に入っている。この間、しばらくしたところで、コーヒーのお替りはいかがですかと聞かれた。このときには内心どうしようか本当に迷った。無料ですかと聞くのはカッコ悪いし、それほど飲みたくないコーヒーのためにさらに1000円ほど払うことになるのはさすがに躊躇されたのだ。しかし、もう少しそこにとどまりたかったので、「お願いします」と答えた。あとで確認するとそれは無料であったが、こういうことにあれこれ迷わなければならない自分が情けなかった。そのぶんの時間と気持ちの無駄だ。

そんなことを思い出しながらコストコのコーヒーを飲む。かのクラウス・ロクシン教授も、そういうつまらないことで迷ったり、後悔したりするのであろうか。

Nobody Knows You When You're Down and Out

2007年6月6日

ドイツでは4月(ないし5月)からはじまるセメスターを夏学期という。私の勤務先では、これを春学期と呼ぶ。最初は「春学期」という命名に感心したものだが、やはりどう考えても夏学期と呼ぶのが実態にあっている。ドイツ以上に夏学期というべきであろう。この失敗した命名法に、ヨーロッパ文化と比較しての日本文化の底の浅さが如実にあらわれているといえよう。と、いうほどの大きな問題ではないか。

いずれにしても、日記を書く間隔が開いてしまった。書くべきトピックがない訳ではない。名城大学での日本刑法学会大会のこととか、はしか休講のこととか、先週の月曜日(いろいろと事件が報道された日のことである)に倫理委員会で6時間以上、信濃町慶應病院にいたこととか、フォルンバウム氏の講演会とその前後におけるお付き合いのこととか、日本学術会議の立法学分科会(委員長が井上達夫教授、副委員長が私)での私の報告とそれをめぐる議論のこととか、ハンカチ王子がプレゼントしてくれた月曜休講のこととか、日記に書き残しておくべきことはある。しかし、それにしても、その時間がないし、その気力がわかない。来週、某お役所で講演することを依頼されており、その準備をする暇もないとか、ジュリストの特集のための論文(20日締切り)に取りかからなければならないのだが、まだ他にやることがあるとか、そういう状況だと、その日のことを振り返ったりするという心の余裕さえ持てないのである。当面、6月が勝負であり、これらを何とか大過なくすませて、グロテア氏の講演会(20日)を乗り切り、6月最終週の盛岡でのお医者さん看護師さん相手の講演(28日)を乗り切れば、何とか先が見えてくる。

そこで今日はなぜ日記を書こうと思ったか。法科大学院で小池信太郎講師と共同で担当している刑法1(刑法総論)の授業での出来事について書こうと思った。先日の火曜日の授業で、ほとんど質問者がいなかったのである。それまでは、毎回、授業後にも多くの学生が教壇に詰めかけるという状況であった。小池講師と2人でさばいて対応するのがやっとだったのに・・・。

授業後に小池講師に、今日は質問者が少なかったですねえ、といわれて、たしかに、と思った。そこに、非常勤で来ている後藤弘子さんが通りかかり、「それは井田さんの授業がつまらないからですよ」と例によって批判的な発言をされる。たしかに、小池講師は、司法試験に早期合格され、修習も終えており、刑法も刑訴も両方とも出来る人だ。その日も、明快で、すんなりと頭に入る、いかにも頭脳明晰な人という、まとまった話をされた。まるで、お前とは頭のできが違うんだよと、共同担当者に暗に示そうとしているかのような明快な話であった。そこで、授業の不評の責任は当然私にある。まあ正当防衛と緊急避難がややこしいテーマであることも一因であろうが、とにかく受講生は(坂本九ではないが)私の授業への評価をその態度で示したのである。

おそらくいつもそうなのだろうと思う。今はちょうど夏学期の折り返し点の時期である。こちらも、当初の新鮮な気持ちをいかさか失って、緊張を欠き、別の仕事に気を取られ、惰性に流れがちとなる。受講者もまた同じであろう。今回はそのことに気づいただけでもよかった。来週と再来週ぐらいはとりわけきちんと準備して、きちんと話をしてみるつもりだ。

論文集『変革の時代における理論刑法学』の校正作業を終え、責了にしたところで、お礼の気持ちもあって、慶應義塾大学出版会の岡田智武さん(この方もきわめて優秀な方)に、オペラ・カルメンのDVDを差し上げた。すると、岡田さんが恐縮され、私にユンケルスター(普通に買うと4000円ぐらいする)とマカ皇帝倫という高価な錠剤200錠をプレゼントしてくれた。よほど消耗しているように見えたらしい。これら薬剤の助けを借りて、授業を頑張ろう。もっとも、これらが上半身に効果を発揮するかどうかはかなり疑問であるが。

 そこで、久しぶりに高く高くいななく、ばふーん。

One After 909

2006年12月1日

名曲・名演というわけでもないが、何度も何度も聴いてしまう曲がビートルズのOne After 909である。初期の曲でボツになったのを(歌詞の内容もたんなる語呂合わせに過ぎないように思える)解散間近のときに演奏したものということらしい。それでも、ボーカルのハモりとか、ベースラインが飛び跳ねるようですごいところとか、間奏のうまさ(こういうのをメジャーペンタというのだっけ、とにかく難しい)とか、かしゃかしゃいうドラムとか、聴きどころが満載。

こういう演奏を聴いていると、好きなときに、気の合う仲間たちと思いきり大きな音を出してバンド演奏できる環境があったら、どれだけいいだろうと思う。

ちなみに、高校当時バンドでやっていたのは、Back in the USSRとか、While my guitar gently weepsとかである。なつかしい。

来年1月に恒例の高校の同期会コンサート(いつもライブハウスを借り切る)が予定されている。何しろ、世界的なブルースギタリスト牧野元昭はじめ、同期にその道のプロ数人がいるので、いつもレベルは高い。そこで、数曲演奏しないかと誘われている。どうせおふざけなのだからかまわないようなものの、生返事をしたままになっている。昨年の今ごろ、牧野やドラマーの石倉啓邦とともに、志木高校全校生徒の前で演奏したときのことは、あまりに恥ずかしい思い出で、笑って思い返せるようにはまだなれない。

One After 909を聴きながら、広大な農家のガレージでバンド演奏する自分を夢想する。人生が二度あれば、いいんだけれどね。

Ich will verstehen

2010年10月9日

*以下の文章は,ある高校の依頼に応じて,高校生のための「読書のすすめ」として書いたものである。

なぜ読書をするか。私は,そう聞かれたら,ハンナ・アレントの言葉を借りて「わかるようになりたい(Ich will verstehen)から」と答えるであろう。何しろ,世の中のこと,自然のこと,そして人間のこと・・・・わからないことばかりである。何十年もかけて深く勉強してきたつもりになっている専門分野についてでさえ,わからないことの方が多い。自分の無知を思い知らねばならぬことは苦痛である。最初からギブアップして,知ろうとさえ試みないほうが精神衛生上よろしい。でも,「あ,そうか」という言葉で表現される,知る喜び,わかる喜びというのもあるのだ。これを「あ,そうか体験」と呼ぼう。

すべてのことは,思わぬ形で関連しあっている。1つのことがわかると,もう1つ別のことも知られてくる。そこで,1つの「あ,そうか体験」は,ただちにもう1つ別の「あ,そうか体験」につながる。ひとたびこの喜びを味わうと,病みつきになる。いろいろな物事について知れば知るほど,知る喜びを味わう可能性もそれだけ高まってくる。そこで,私の原則はこうである。とにかくいろいろな問題に関心を持ち続けよう。たしかに,わからないことも見えてくるから苦痛も増大する。しかし,できる範囲内でわかるようになろう。そして,そのための最も合理的な手段が読書である。とっとりばやく「あ,そうか体験」を与えてくれるのが,読書なのだ。

「知る喜び」とは,知的レベルに位置するものであろうが,「感動」とも背中合わせである。感動は,より情緒的なレベルにおける反応であろう。が,ありがたいことに,読書は,深く持続的な感動ももたらしてくれる。たしかに,感動をうるためには,書物より,映画や音楽のほうが手っ取り早い。ただ,一般論としていえば,映画や音楽は,書物に比べてやや「押しつけがましい」嫌いがある。場合によっては,それは感動の押し売りとなりかねない。その点で,書物はより謙抑的であり,それだけ読者に大きな自由が与えられる。逆にいえば,それは,読者に感動をもたらすにあたって不親切である。

映画であれば,場所や登場人物のイメージはかなり明確に決められてしまうが,本であれば,読者がかつて住んだ場所をそこに投影したり,登場する女性に読者がひそかに心を寄せる身近な人をダブらせたりすることが自由にできる。そして,受け手に大きな自由を与え,何より受け手にそれなりの問題意識と学識を要求するという点では,文学作品より,社会科学・人文科学分野の書物,たとえば,哲学や社会学の古典のほうがよりそうであろう。読者にどれだけの知識があるか,読者がどのような問題意識をもってその著作にのぞむかにより,一冊の本はまったく異なって読まれうるのである。

私の経験を話そう。法学部学生の時代(1年生か2年生かの頃)に,ある講義で,マックス・ウェーバーの『職業としての学問』(岩波文庫版)を読むように奨められた。すぐに書店で買い求めて読んだが,まったくつまらなかった。書かれていることが理解できないというのではなく,「え,それで」という感じの連続だったのである。ところが,ずっと後に,大学院生(博士課程)の頃,留学中のドイツでこの本を日本から送ってもらって読んだ。そのときは,一行一行胸に染み込むように読めて,読み終えたときには大きな感動を覚えた。このことから学び知ったことは,読書とは「著者と読者の対話」だということである。学部時代の自分では,ウェーバーと対話するのにあまりに未熟すぎたのである。

本を読むとは,著者に問いかけることである。著者に向けてボールを投げかけることである。そして,著者が投げ返すボールを受け止めることである。どのようなボールを投げかけるかにより,著者からそもそもボールが返ってくるか,どんなボールが返ってくるかが決まる。問題意識なくして書物に向かうことは,対話において,問いかけることなく「返事」を待つことに等しい。その意味において,読書は誰にでもできる営みではないし,自分を相当に鍛えなければ,できるようにはならない。何の問題意識などなくても読めて楽しい本がある,と反論する人がいるかもしれない。しかし,そのような本の前では,読者は情報の純粋の受け手に堕しており,テレビのおふざけ番組を口を半開きで見ながら時間をつぶしているのと同じなのである。それを読書と呼ぶのであれば,サルでも読書をするであろう。

読書は,本当に素晴らしい営みである。涙が出るほど深い感動をしばしば与えてくれる。これは諸君らに保証できる。ただ,書物を本当に楽しめるようになるには,その素晴らしさを実感し,深く持続的な感動を受けるためには,前提としてそれ相応の努力をしなければならない。読書は人を豊かにする。「読書力」は一生の宝になる。そのためには諸君らの時代に額に汗してたゆまず多少の努力をすることも必要だ。

それでは何を読むか。ここでは,法と法律学の世界をのぞくのに適切だと私が考える本のいくつかをご紹介したいと思う。まず,二木雄策『交通死—命はあがなえるか—』(岩波新書,1997年)があげられる。著者は,ある交通事故でわが娘を失い,その法的処理に対し,強い疑問を抱いてこの本を書いた。読者は「こんなことが許されてよいのか」という問題意識を著者と共有するに違いない。そうなれば,諸君の中に,法に対する強い関心が芽生えたことになるのである。ただ,私個人は,法による「問題解決」とはそのようなものであらざるを得ず,そのようなものであらざるを得ないところに法の宿命があると考えている。

法と法律学にとっての古典的作品であり,簡単に入手でき,また手軽に読める本としては,ベッカリーア(風早八十二=風早二葉訳)『犯罪と刑罰』(岩波文庫,1959年)がある。フランス啓蒙思想の影響を受けた26歳の若き法律家が,1764年に匿名で(実名による体制批判は危険だったのである)発表したもので,当時の不公正かつ恣意的で苛酷な刑罰のあり方を批判して,合理的な根拠のある限りで,しかも法のルールにのっとって刑罰を用いるべきことを説き,たちまちヨーロッパ各国語に翻訳され大反響を呼んだ。基調となっている人道主義,合理主義・科学主義,法治主義の思想は,現在でも基本精神として受け継がれている。

ベッカリーアは,社会契約説にもとづく死刑廃止論を主張したことでも有名であるが,団藤重光『死刑廃止論〔第6版〕』(有斐閣,2000年)を読むならば,誰でもが関心をもたざるをえない死刑の問題から入って,法の世界のかなり深いところまでのぞき込むことができる。死刑というテーマは,さまざまな問題と密接に関連している。刑罰および刑事責任(たとえば,自由意思の問題)というものについて深く考えさせられるばかりでなく,誤判という,法にとってのもう1つの永遠のテーマについて考えをめぐらす契機となるはずである。

もし刑罰に関心がもてたら,ぜひ河合幹雄終身刑の死角』(洋泉社新書,2009年)を読んでほしい。およそ罪と罰(犯罪と刑罰)について語るときには,最低限ここに書かれていることぐらいはおさえてほしい。そうすれば,テレビや新聞でしばしば語られることが,いかにでたらめで的外れかが理解してもらえるはずである。

と,ここまで書いてきて,突然に目の前に「読書の神」が立ち現れた。私は,憤っているような表情の神さまの足元にひざまずき,懸命に尋ねた。「神よ,神はなぜ読書をするのですか。」答えは,風の音にかき消されたが,たしかに,こう聞こえた。「ただ本を読みたいから。理由などない。」

 

Smoke Gets In Your Eyes

2008年2月20日

今は,スイスのバーゼルにいる。昨日,この大学のスタッフセミナーで「法発見の方法---刑法の場合」というテーマで講演させていただき,夜には,講演にも来てくれた,定年教授・シュトラーテンヴェルト氏らと一緒に食事をした。シュトラーテンヴェルト氏の真向かいに座った私は,ヒルシュ教授のところでドクター論文を書いたと話したら,「彼は最も正統派の目的的行為論者なんだから,彼がヴェルツェルの体系書を改訂すればよかったんだ」と言った。(なお,後に,そのことをヒルシュ氏に伝えたら,それは彼の皮肉であろう,とちょっとイヤな顔をしていた。)

ヴェルツェルの体系書は,『ドイツ刑法』という書名で,総論と各論を含み,1969年に11版が最後となったが,それまで2年に一度は改訂版が出て,一時はドイツで最も広く読まれた教科書であった。20世紀のドイツ刑法学が生んだ最高の体系書の1つである。目的的行為論が学界の少数説であり続けたことを考えると,そのことは驚くべきことであろう(もっとも,有名な定義のように,「目的的行為論とは故意を構成要件要素とする見解である」とすれば,それは通説となったといえる)。総論はもちろんであるが,各論部分がコンパクトであるのにその内容がきわめて充実していることには感嘆に値するものがある。

ヴェルツェルの体系書の運命については,かなり正確なことが分かっている。晩年になり急速に知的に衰えた彼は,当初はもちろん一番弟子と目されたアルミン・カウフマン(ボン大学における講座承継者)という飛び抜けた理論家に期待した。しかし,寡作の彼が仕事をしないことに業を煮やしたヴェルツェルは,70年代初めに,教授になりたてのヒルシュ(ただ,11版のかなりの部分を手伝っていた)をわざわざ自分のところに呼んで,改訂を頼み込んだのである。ヒルシュはきわめて名誉なことと感じ,即座に喜んでお引き受けすると答えたのであった。

ヒルシュはその後,ヴェルツェルと出版社からの正式の依頼と段取りの相談があることを待っていたが,まったく音沙汰がない。聞くと,ヴェルツェル夫人がヒルシュに依頼することに反対し,カウフマンにやらせるべきだと強硬に主張したというのである。ヴェルツェル=カウフマンの第12版の広告も見たという。ヒルシュは,プライドを傷つけられた気持ちとなり,ライプツィガー・コンメンタールの違法性論の部分の仕事(これもまた名誉な仕事である)に没頭したということである。

しかし,カウフマンは改訂作業を進めない。そこで,改訂版の出版が遅れることを心配した出版社とヴェルツェルは,勤勉型のヒルシュに対し,正式に改訂を依頼したのであった。電話でのやりとりは,「ヒルシュ君,やはり君に頼めないかな。」「いや,いくら先生でも,今となってはこの依頼は受けられません。」・・・というものであったらしい。

そこで,困ったヴェルツェルと出版社は,時間が経ち,改訂作業が難しくなっていることにかんがみて,総論部分をヤコブスに,各論部分をガイレンにまかせるという窮余の一策に出たのである。結局,そのまま改訂作業は進まず,ヴェルツェルの教科書は終焉を迎えたということになる。

後に私は,ヒルシュ教授に,経緯はあったにせよ,たいへんお世話になった,尊敬する恩師が頭を下げてお願いしてきたのだから,やはり引き受けるべきだったのではないですか,と聞いたことがあるが,ヒルシュ氏の返事は,学者ないし人間としての誇り(プライド)の問題だという趣旨のものであったと記憶している。

ところで,シュトラーテンヴェルト氏は,アルミン・カウフマンと並ぶ,ヴェルツェル門下の最高の頭脳の一人であり,スイスでは,スイスの刑法を根本的に変革した大刑法学者として伝説的な存在である。私は,バーゼル大学での講演のあと,ただちに彼のところに駆け寄って,わざわざ出席してくれたことのお礼を述べ,さらに,講演の中での私の主張についてどう思うかを尋ねたのであった。彼の答えは,内容にまったく触れず,「あなたはドイツ語がうまいね。」というものであった。私はとても悲しかった。