You Must Believe In Spring

2007年5月14日

鶴見俊輔の『埴谷雄高』を読む。『死霊』を読もうという気にはならなかったが、この人が一生を書けて格闘したものをかいま見た感がある。ただ、昭和は遠くなりにけりというか、議論の中に懐かしさも感じてしまった。それにしても加藤典洋さんの解説が秀逸。この人はいつも本当に素晴らしい。『敗戦後論』あたりの一連のものを読んだときの鮮烈な印象も忘れられない。手品の種明かしのように、ストンと落ちる評論というのには他に出会ったことがない。

講義と並行して総論の教科書の準備をする。有斐閣のFさんとの長年のお約束である。Fさんは、私の専任講師としてのはじめての講義(刑法各論)を聴いた人である。『基礎から学ぶ刑事法』とその改訂の仕事を通じて、これは本人に伝わると困るが、妻の尻に敷かれた夫のように、頭の上がらない関係が形成されている。書名は『講義刑法学』とし、総論だけで完結させるつもり。これには秋までにはケリをつけ、これで私にとってのテキストの仕事は最後にしようと思っている。学生向きテキストを書くために学者になったんじゃない! あとは定年までの10年あまり、本当にやりたい仕事をしたい。

本当にやりたいこと? それは、歴史(学説史)。はじめてのドイツ留学のとき、グンター(アルツト教授)に、フォイエルバッハを研究するといったら、日本人がドイツの学説史をやるのはバカげているといわれた。そのときは、その通りだと思ってやめた。でも、やりたいものはやりたいのだ。

シュテークミュラーという哲学者の『現代哲学の主潮流』という名著があるが(日本でも法政大学出版会から翻訳が出ている)、ああいう本を刑法学の分野で書いてみたい。フォイエルバッハビンディング、リスト、ベーリング、メツガー、ヴェルツェルといった学者たちの方法論と思想と学説を現在につながる形でまとめるのだ。シーボルト賞をいただいたときに、ケーラー大統領らの前で、そういう本を書き、そのドイツ語版も作りたいという夢を語った。フォイエルバッハからはじめてビンディングかリストあたりで終わってもいいからやりたいと思う。

その書名も決まっているんだ。『理論刑法学の思想と方法』さ。