On Green Dolphin Street

2009年10月30日

あしたのジョーの最終回が載った少年マガジンは,ウィキペディアによると,1973年5月13日号だそうだ。高校3年生だったことになる。東横線のどこかの駅(武蔵小杉か〔ちなみに,この駅名は「たけぞうこすぎ」と読む。「むさしこすぎ」とか「むさこ」とか読むのは田舎者だ〕)のキオスクで買った記憶がある。最終ラウンドに,かつて少年院時代に戦った相手方(青山?)がとった戦法をジョーがとるという感動的な場面がある。ジョーは,人生の最期に臨んで,過去をいま一度振り返ったのである。

最近,あることをきっかけとして,大学・高校・中学の同期生たちとの関係が復活している。過去を振り返ることは,老いた自分の姿を意識することにもつながる。神さまが人生の最期にあたって昔の仲間との出会いの機会を与えてくれているのではないか,などと考えて怖くなったりする。いやいやつまらぬことは考えず,ただただ有難いことと受け止めて,旧交を温め,それぞれの分野で活躍しているみんなから力を与えてもらうことにしよう。

ところで今はドイツにいる。ここ数回の日記は,ドイツからのものばかり。別にずっとドイツに暮らしているのではない。こうして旅行中ででもなければ,日記を書くだけの時間的・心理的余裕が生まれないということだ。

今回は,ドイツのザールラント大学から名誉学位をいただくために来た。別に私にドイツでの素晴らしい業績があるわけでも何でもなく,大学間の交流の中で生じてきた話であり,単なる巡り合わせである。神さまが私の人生の最期にあたってこれまでの業績に対する・・・・というのでは全然ないので,これとの関係では,怖くも何ともない。それより恥ずかしい。生まれてきてすみません。

明日は授与式だが,とにかく立ち居振る舞いをしっかりとして,30分の記念講演では時間を厳守して,しっかりと原稿を読み上げることだ(くれぐれも原稿を離れて冗談を言おうとしてはならない。ドイツでは何度もそれで失敗している)。夜のパーティでの感謝の言葉も,照れないでしっかりと話す,これが大事。うまくいくように,皆さんも応援していて下さい。でも,だいたい,シナリオどおりにはいかないんだよね。

昨日は,自宅から成田空港まで,大学の公用車を不法に利用して送ってもらい(内緒です),フランクフルト空港からは,ザール大学の学長車でここまで来た。さすがに学長車,アウディの大型高級車(内装が総革張りでした)で,アウトバーンをところどころ200キロでとばした。まあ,こんなことも,人生で最初で最後なので,神さまには許していただきたい。ただし,飛行機はもちろんエコノミークラス。隣の高齢のご夫婦がとても親切で,最初いろいろ話が弾んだ。ドイツ語の本を読んでいるものだから,ドイツ語の先生ですかと尋ねられた。「いえ,犯罪でメシを食っています」と答えたら,それから無視された。ちゃんちゃん。

こちらに到着後,すぐに,リュスマン教授からホテルに電話があり,いきなりコンサートに行かないかと聞かれ,「ふざけんな,ほとんど寝てないんだよこちらは。嫌だよ,バカ野郎」ともいえないので,「いや,喜んで行きます」と答えたら,本当に連れて行かれた。しかも,こちらの音楽単科大学の優秀な学生によるバイオリンとピアノのコンサートで,心地よいのって何のって,3分で爆睡していびきをかき,ひんしゅくをかい,やばい,ここが人生の頑張りどころだと思って,起きている努力をしたが,3曲目のショパンで意識を失い,首ががくんとなり,4曲目のリストで首ががくんがくんとなり,これ以上の醜態をさらせないと思い,頑張ったものの,6曲目のメンデルスゾーンで首ががくんがくんがくんがくん。爪楊枝を折って目が閉じないようにつっかえ棒にしたかったですよ。