They Can Imitate You, But They Can't Duplicate You

2006年11月13日

園田寿さんの書いた説教強盗の文章を読み、テレビで自殺に関するニュースを見ていて、タルドによるものであったか、犯罪や非行やその他の顕著な社会的行動は模倣されるという理論を思い出した。犯罪学の仮説としてももっと研究されてよい考え方なのではないかと思った。

学問にしても、音楽等の芸術にしても、まずは模倣からはじまるものであろう。法律学者の場合だと、一人前の顔をしている人でも、その言うこと・書くこととの9割以上は、結局は模倣に帰するといえるであろう。日本法の近代化も、西欧法の模倣により可能となったものである。M・E・マイヤーをもじって言えば、「人間は模倣するように決定されている」のである。まったく正反対に、人とは違うことをしたり言ったりすることを生き甲斐としているかのように見える人もいるが、困りものであったりする。そういえば、今は死語であるかも知れないが、以前は、流行に染まりやすい人のことをミーハーと呼んだ。かつて原宿に住んでいたことがあるが、その頃、大学の帰りに竹下通りを歩いていたら、「この店、トレンディじゃない」という会話が聞こえてきて、「トレンディ」という単語を日常会話の中で使用する人がいるという事実に驚いたことがある。そういえば、そのずっとあとになって,あるドイツ語の論文の中で「トレンディク」(trendig)という単語を使ったら,編集担当の教授から、この言葉は適当でないので他の言葉に置き換えてくれ、と言われたことがある。ドイツ語だと,「わー、この説、とってもトレンディ」というように読めてしまうのかしら。

それはともかく、テレビのお笑い番組のようなやつの中心的内容は、特定の人を何かを理由として皆で笑いものにすることにほかならず、子どもたちがそれを模倣するのも当然なのだろう。