盛岡も今日は夏だった

2007年6月28日

しばらく日記を書く暇がなかった。書きたいことはあったが、まったく時間がない。授業の準備と、合間に入る講演の準備で完全に時間が消えてしまう。そこに、ジュリスト特集「医療と法」のための「終末期医療と刑法」の原稿が加わり、完全に生活が破綻したというていたらくである。

終末期医療については、おそろしくたくさん文献と資料がある。川崎協同病院事件の控訴審判決が出て、町野朔先生の手厳しい(しかしおそらくは不当な)批評も公にされた。厚労省ガイドラインが公表された。国立保健医療科学院の先生方と共同研究を始めたので、お医者さんの問題意識も理解できるようになった。ということで書くべきことはたくさんがあるが、細切れのすき間時間にまとめることは至難である。締切りを1週間延ばしてもらい、昨日水曜日は、ユンケルスターを半分だけ飲んで(これが効いた)、朝早くから今朝の午前4時までかかって1万3000字ほどの論文を書き上げた。

積極的安楽死については考え方を少し変更した。呼吸器の停止については自説をよりはっきりさせた(「作為による不作為犯」のことは前面に出さず、より単純化させた)。治療中止については、法曹時報で示した見解を基本に、手続的解決も併用した。町野先生に対しては異様に攻撃的な文章になった。年上のエラい先生には多少強い批判を加えてもいいものなのだ(年下にはいけないが)。

午前4時から2時間ほど寝て6時に起床、9時の東北新幹線で盛岡に向かった。移植コーディネータの方たちに頼まれて、臓器移植関係の研修会の講師として臓器移植法の解説をする。参加者の多くは看護師さんだが、お医者さまも混ざる。こういうときに限って、話がうまくできて、最後のあたりの「泣かせどころ」では(何回もやっているので泣かせどころができている)、自分のほうが感激して、涙が出そうになる。ちなみに、渥美古稀論文集の私の論文では39頁と43頁にその部分が出てくる(笑)。

疲れていたので往復ともにグリーンに乗って、ただからだを休める。こういうお仕事なので、いただくお金は、グリーンで往復するとほとんど残らない。でも得られるものは限りなく大きい。脳外科医(業界用語で「のうげの先生」)の前で、竹内基準の問題点などを臆面もなく語ることができるようになったのは場数を踏んだおかげだ。

新幹線で盛岡まで2時間30分。駅弁がやけにおいしく感じられた。往復ともだいたい寝ていたので、時間を感じなかった。ほんのちょっとだけ石川啄木のことを考えた。

帰宅後、今日の朝刊を見て、時事問題についての園田寿さんの素晴らしい解説を読む。実学とはこういう知のことを指すのだろう。わが身を省みて恥ずかしく思う。