Roll With It

2011年12月11日

私の中では,スティーブ・ウィンウッドのRoll wtih Itは,スイスのベルンの街と結びついて記憶に残っている。ベルンにいたときに,タイトル曲がヒットしていて,至る所で聞こえてきたことを憶えている。ベルンには,ケルンへの留学中に1か月ほど住んだことがある。懇意であったベルンのアルツト教授が宿舎を手配してくれて,宿舎と研究所を往復しながら,博士論文の責任論のところを書いていたはずである。Roll with Itが出たのは1988年の6月のことだというので,私がベルンにいたのが1988年の8月だとすると,ちょうど計算が合う。

ちょうどそのときだったと思うが,たまたまトゥーン湖まで出かけて,そこで電車に乗り合わせた日本人家族と知り合いになって話をした。博士論文執筆のために四六時中机に向かう毎日,ほかのことはする時間がない,というようなことばかりしゃべって,「外国で勉強ばかりとは大変ですねえ」などと言われて別れ,ベルンに街に戻って,その日の夜,当時よく立ち寄ったゲームセンターでいつものように,ヘリコプターで爆撃しまくるゲームを1ゲームだけやって出てきたところ,その家族に偶然再会して,気まずかったことを憶えている。そのゲームセンターが,ビキニの女性が踊る絵などを正面に出した,かなりケバケバしい店構えであったこともあって恥ずかしく,ほとんど会釈もしないで逃げてきてしまった。どういう訳か今でも思い出して恥ずかしい気持ちになることがある。でも本当にゲームセンターだったんです。

そんなことはともかく,私にとり,ウィンウッドはトラフィックのウィンウッドである。中学生・高校生の頃で,それほど頻繁にレコードなど買うことができなかった私は,いくつかのトラフィックのレコードに憧れながら購入の決心がつかず,ようやく勇気を出して買ったのが,かの名盤John Barleycorn Must Dieであった。Gladもかっこよいが,とりわけEmpty Pagesでの絞り出すようなウィンウッドの声にハマって何回も聴いたものだ。そういうことがあったから,Roll with Itのヒットは,かつてのヒーローのリバイバルとしてうれしく思ったのだ。そのアルバムも,ベルンであるか,ケルンであるかは忘れたが,買ったはずである。もうCDの時代であったはずだが,カセットテープで買ったように記憶している。

昨日(10日)は,そのウィンウッドを日本武道館で見てきた。8歳年上の彼が変わらない歌声を聞かせてくれることには大いに励まされる。ちょっと終わりのころは苦しそうだったけどね。それにしても,さらにそれより年齢が上のクラプトンの元気でかっこいいこと。やはり主役は彼のほうであった。あの調子なら70歳を超えても全然大丈夫であろう。耳がほとんど聞こえないというのは本当なのであろうか。

クラプトンは初来日のときにやはり武道館で見たはずだ。私は大学生で,彼もまだ30になったばかりぐらいではなかったか。

そういえば,ベルンのアルツト教授には9月にお会いしたが,相変わらずシニカルで,お元気そうであった。日本では(もちろんドイツでも),「法益関係的錯誤の理論」の発見者として有名である。 

とにかく私も年老いてだんだん友だちがいなくなってきました。年上の皆さんがお元気でないと,さびしくていけませんよ。