Vorleser

2009年9月27日

 

前回の日記を書いてから,この半年の間に,わが身に降りかかった過酷な運命についてはいつか総括する必要があろうが,今は書かない。いずれにしても,この私はもはや学者ではない(2020年1月5日補遺---この年の5月から学校法人慶應義塾の常任理事になった)。

そして今はドイツにいる。ドイツの連邦議会選挙の視察のため。ドイツ学術交流会(DAAD)から招待され,18人の視察者(ドイツ,ポーランド,ロシア,英国,米国,インド,ブラジル,ナイジェリア,オランダ,フランス,タイ,中国,リバノン,トルコ,アルゼンチン等。主としてドイツ政治を専攻する大学教授たち)と一緒にドイツ国中を回る旅に参加している。フランクフルト,マンハイムハイデルベルクシュトゥットガルトハンブルクミュンヘンドレスデン,ハレと回ってきて,今はベルリンにいる。

これまで主として刑法の抽象的な理屈のみを考えてきた人間にとり,ドイツの政治・経済や外交問題,教育制度,ヨーロッパとの関係などは,ほとんど素人以上の知識はない。あちこちを回って,一流の専門家であるゲストの話を聞かせてもらい,議論をするというのだから,もっぱら聞き手にまわり,学生のようにノートをとり,せいぜい時たま確認の質問をすることしかできない。

最初は苦痛であったが,どうひっくり返っても素人なんだから教えてもらうしかないと割り切ってから気持ちも楽になった。

ついに明日が投票日。格差社会化を批判する社民党と左派党が一方にあり,それと一線を画す形で緑の党があり,他方に,経済発展と企業の国際競争力を重視するキリスト教民主同盟・社会同盟がある。今回の選挙では,同盟と社民党の大連立が継続するであろうと予測されているが,数年後には,社民党左派が,左派党および緑の党と組んで,左派内閣を作る可能性も大きいといわれている。格差社会は嫌だが,企業が弱くなると結局暮らしはよくならない,というジレンマは,日本と共通であるが,政治の中心に政党があるドイツでは,日本よりも問題状況がより明確なものとなっている。

ところで,一昨日は,雄弁家としてならす左派党のグレゴール・ギズィーの大演説をハレで聞いてぶっ飛んだ。弁護士出身であることもあり,その名は以前から聞いていたが,これだけの弁舌はかつて聴いたことがない。ロクシンをはるかに超えるであろう。昨日は,社民党のシュタインマイヤーの演説を聴いたが,ギズィーの後では影が薄い。今日は,皆はメルケルの演説を聴きに行ったが,私は,一人別行動をとった。フランクフルト(アン・デア・オーダー)大学教授のヨェルデン氏と待ち合わせして昼食を一緒に食べたのである。彼が共同に組織する,生命倫理関係の研究グループに加わることになったので,その打ち合わせを兼ねてのことであった。これまた面倒なことであるが,こういう形で自分を強制しないと,今後そもそも研究につながっていることができないであろう(2020年1月5日補遺---その後,この研究グループに加えていただきながら,まったく何もせず,ヨェルデン氏には完全に愛想を尽かされ,嫌われた〔涙〕)。

今は,アレクサンダー広場にある,当時は東の代表的なホテルであったパークインに泊まっている。広場付近を散歩しても,東の雰囲気が濃厚にあってちょっと息がつまりそうな感じさえする。今回の旅では,宿泊も移動先も主として(旧)東ドイツである。相対的に貧しい東側への配慮とも理解できる。

時間を盗むようにして本屋をのぞくと,カール・シュミットの分厚い伝記が出ている。買いたいとも思うが,どうせ読む時間がないであろうと思って,結局手を出さない。DVDの売り場を見ると,映画化された「朗読者」が出ている。これも観たいと思うが,どうせ時間がないと思い,諦める。それにしても,「朗読者」は素晴らしい小説である。口には出さないが,ひたすらに男の側からの救いを待っているかに見える女性と,かつて愛した女性に救いの手をさしのべようとしない男。むごいが,男の冷たさがよく描かれている。「朗読者」というタイトルですべてのことが言い表されているという点でも見事。