Carl Schmitt

蔭山宏先生から,最新の著書『カール・シュミット---ナチスと例外状況の政治学』をご恵贈いただいた。カール・シュミットと刑法学の接点は,彼の博士論文が刑法学のテーマ(責任本質論)に関するものであったことだけではない(ちなみに,刑法学の内部では,この本はまったく参照されていない。少なくとも私は引用されているのを見たこともない)。彼の「法的思考の3類型」の議論は法律学の世界でも有名であり,さらに近年では,組織犯罪対策を念頭に置いて「敵刑法(Feindstrafrecht)」の理論(「敵味方刑法」とも呼ばれる)が提唱されたが,その思想の1つの淵源はシュミットに求められるといわれている。なお,私は,博士学位の取得のために,ケルン大学に2年半余りいたが(ちなみに,最後の半年余りは,所属大学を休職した。学位取得のために「財産刑の制裁」を受けたと感じた〔笑〕),シュミットがケルンにいたとき,同僚であったハンス・ケルゼンがナチスによりポストを奪われそうになり,ケルンの法学部の教授たちはみなケルゼンを守ろうとしたが,シュミットだけそうしなかった,というエピソードは何度か聞かされた。

今回,蔭山先生の著書を読ませていただき,シュミットの思想の全体像をはじめて教えていただいたという気がしている。もちろん,私にとり専門外であり,ドイツの現代史にも詳しくないことから,いちど通読したぐらいで何がわかる,といわれそうだが,いくつかのことはよくわかった。シュミットの書いたものは,そのときどきの政治的状況と切り離して読むことができず,多面的・多義的で,かつ発展的で,相互に矛盾もはらむものでもあることはよく理解できた。また,そのつどの問題状況を概念化・言語化する能力は卓越したものであることもわかった。すべての著作に通底する基本的な考え方はうかがえるような気がしたし,それがまた魅力的であるように感じた。この機会に,何か彼の本をゆっくり読んでみたいとも思う。『憲法論』と『議会主義』だけは,この家の書架のどこかに眠っているはずだ。

シュミットは政治学者のイメージをもたれているが,基本は法律家だということも感じた。「例外的状況で本質が露呈する」というのは法律家にとっては腑に落ちることである。私でさえも,学生たちには,一般市民の常識で歯が立たない例外的事態においてはじめて法律家の思考と論理が役に立つのであり,そこでこそ法的思考と法的論理が試される,などと話している。外面性と内面性の区別の議論なども,カント以来の法と道徳の区別に関する見解(法の外面性,道徳の内面性)を想起させる。

とりわけ当時の刑法学者に対し,「法的思考の3類型」の議論,特に「具体的秩序」という考え方は大きな影響を与えた。というより,そのような考え方に現れた当時の時代思潮,すなわち,事実の中にすでに法(規範)があり,それを「発見」しなければならないという考え方は,20世紀初頭以降,存在論哲学(新カント派哲学へのアンチテーゼであった)やヘーゲル哲学とも合流して,刑法学に決定的な刻印を与えたのである。具体的秩序思想,法存在論,事物論理構造といった一連の考え方を体現したのがハンス・ヴェルツェルの理論であり,戦中・戦後の時期に(刑法学という狭い世界の話であるにせよ)一世を風靡したのである。私のドイツにおける恩師であるハンス・ヨハヒム・ヒルシュは,ヴェルツェルの忠実な弟子であり,メーリングによるシュミットの伝記が出たとき,私はドイツにいて,ヒルシュにその本をプレゼントしたことがある。「お,これは一気に読むよ。」ととても喜んでくれたことを覚えている。 

かくいう私も,恩師を介してヴェルツェルの思想を継受しているので,法は,単なる規範ではなく,かつまた「決断」にすぎないものでもなく,法の規制の対象となる事実そのものの中にすでにルール(秩序)が存在している,という考え方をとっている。過失犯の場合に問題となる「社会的行動準則」という考え方などは,その典型例である。刑法「規範」そのものはブラックボックスとなっており,解釈者の「決断」でこれを補えるものではなく,社会に現に存在する(現に拘束力をもっている)社会的ルール(具体的秩序)を勘案してはじめて過失の判断基準を明らかにできる。そこには,シュミットの「法的思考の3類型」が見事に現れているといえよう。

日吉キャンパスで,著者の蔭山宏先生の「近代思想史」の講義を履修し拝聴したのは,1974年か1975年のことであるので,先生はまだ非常勤講師でいらっしゃった。当時の私に対し最も知的興奮を与えてくれる講義だったので,欠かさず出席し,大教室の少し後ろの方で熱心に聴いたのを覚えている。そのときにカール・シュミットの名前も頭にインプットされた。夏休みのレポートの課題も,シュミットの『議会主義』を読み,感想を書くというものであった。レポートに対する評価が欲しければそのように希望せよ,とおっしゃったので,それを希望し,後日,先生から一枚の葉書を頂戴して,大変うれしかったことを記憶している。先生のコメントは,「シュミットの思想に関心が持てないという割にはよく書けています。」という文章からはじまるものであった。

今回,先生のご著書をいただき,きちんとした感想を書かなければならないと思ったが,なかなか時間がとれず,ついに夏休みに食い込んでしまった。新書とはいえ,先生の長年のご研究が凝縮された本を一行一行読むのは,専門外のことになかなか理解が行き届かなくなった,この老いた頭脳にはなかなか厳しいことであったが,先日,何とか読み終えて,感想を一通の手紙にまとめた。

あれから45年を経て,2度目の夏休みの課題レポートを恩師に提出したのである。恩師には長く・長く活躍していただきたいし,またそう思われる大学教師になりたいと思う。