Why Does Love Got To Be So Sad?

2007年1月18日

いつ「レイラとその他のラブソングの詰め合わせ」に出会ったのか憶えていない。クロスローズとホワイトルームでその超人的なギターに驚かされて以来、エリック・クラプトンは「クラプトン」(アクセントなしで心持ち「トン」に力点を置く発音でなければならない)として、その容姿のカッコよさを含めて、当時のわれわれにとって「神」だった(ご当地でも「ゴッド」と呼ばれていた)。そういう中で手にした二枚組のレコード(CDではない!)が「詰め合わせ」であった。

今さら喋々するまでもない奇跡的なレコードなのだが、私は、I looked awayやBell Bottom BluesやNobody knows youのか細いすすり泣くようなギター(もう巧いとしか言いようがない)や、クラプトンの切ない歌声とボビー・ウィットロックのシャウトするボーカルのコラボレーションに完全に魅了された。もちろん極め付けは、レイラの後半のピアノである。後に殺人事件を犯したといわれるジム・ゴードンの叩く素晴らしいリズムに乗って基本的に3種類の旋律が繰り返される。マイナー調の旋律(2回出てくる)が効いているのだが、私は途中に短く挟まれる明るい旋律が好きで、気持ちの良い朝を連想してしまう。

このレコードはドラッグまみれで作られたそうな。でも、ラートブルフの「法哲学」にある「芸術作品至上主義」の価値体系の下では、これも完全に正当化されてしまうのであろうなあ。最後の「庭の木」も切ない。ボビー・ウィットロックの絶唱である。発音も不明瞭で、詩の内容もよくわからないが、失恋の悲しさのあまり訳の分からないことをしゃべっていると勝手に理解する。

少し後になって、すぐ解散したドミノスのライブレコードが発売されることになった。1曲目がWhy does love got to be so sad?だという。LPでは後半の透明感がいいとしても、あまり目立たない曲だ。なぜそれがA面1曲目なのか。

国内盤が出される前に、渋谷のロック喫茶(今でもあるByg)に輸入盤が新着盤として飾ってあったので、おそるおそるリクエストして(はじめての経験)、かかるのを待った。LPよりはるかにゆっくりしたテンポで、はるかにかっこよい。一緒に聴いていたのは、今は医者をしている中村聡君で、2曲目の「エンディングがしつこいなあ」といっていたのを憶えている。

国内盤は、学校の帰りに自由が丘だったかで発売日に購入した。何度聴いたかわからない。Why does love got to be so sad?はイントロが最高である。ドラムス、ギター、ベース、キーボードが順番に入ってくる。かっこよすぎる。リフレインの2人の歌声が胸に染みる。だが、何といっても間奏のギターがすごい。私にとってはおよそギター音楽の(あるいはおよそアドリブ演奏の)ベストワンである。これがアドリブだということ自体が信じられない。ただ、それがアドリブであることは、このときの連続コンサートの別テイクではまったく違ったフレーズを弾いていることから間接的に証明される。

最近のコンサートで、クラプトンがWhy does love got to be so sad?を再び演奏している。たしかに、スティーブ・ジョーダンのグルーブ感はスゴイが、やはりジム・ゴードンがいいなあ。ボビー・ウィットロックの声がほしいなあ。あの演奏は、ひとつも欠けてはいけない1万ピースのジグソーパズルのように、偶然の諸要素が幸福に出会った奇跡の瞬間に生まれたものであろう。二度と帰ってこないからそれだけ美しく輝く。

そういえば、渋谷Bygで一緒にドミノスを聴いた中村君には、数年前に尿管結石をしたときに診察してもらった。ベッドに横たわり検査のために腕を取られて注射されたときには、時間の流れをはっきりと感じた。彼も照れ臭かったに違いない。肩に届く長髪で何がほしいか分からぬまま、とにかく充たされない気持ちを抱えて渋谷の街を歩き回っていたあの頃も、もう二度と帰ってこないのだ。