Anything You Say

2007年7月13日

月曜あたりから風邪の症状で調子が悪い。自然治癒でと思っていたのが間違いで、どうにも按配が悪いので、けさ医者に行き抗生物質をのんで横になっていた。木曜は「宅調日」と勝手に決めて休みにしているので、ちょうどよかった、というより、これも「神の采配」なのであろう。明日の弁護士会の懲戒委員会も欠席の知らせをして、2日間で復活を遂げることとする。

木曜も金曜も学者としての仕事の日なのであるが、風邪を治すために勝手に自分で休業とできる。こういうのは学者の特権というべきである。

熱も下がったように思われたので、午後には、調布の本屋で、軽い読み物を探す。ジャン・レイドという人の『デレク&ドミノス・インサイドストーリー』という本が出ているのを見て驚いてすぐに購入。すこぶる面白い。私のような、日本に無数いるおじさんが、同じように面白がって読むのであろうな。

買ったもう一冊は、評判のミステリー『あなたに不利な証拠として』(ローリー・リン・ドラモンド)。この手のものは苦手な私としてはスルーするのが普通であるが、短編集だからという理由で購入した。読むか読まぬか、それは分からない。なお、原題は、黙秘権を告知する場合の決まり文句。

で、こういうときの音楽はジャズに限りますね。日本のミュージシャン(Super★Stars)による「Jazz!!」を聴く。星影のステラが入っていて、とてもいい。矢野佐織のベスト盤も、中年親父の私としては、聴いているとふつふつと元気が湧いてくるような気がする。

それにしても、せっかく貴重な休みであるのに、気分が悪いのと、まともな本が読めないのが苦しい。ロブ・ハルフォードの「Locked and Loaded」あたりを聴きたくなるぐらい復活したい。

Another Day

2007年7月29日

ドイツの人は「伝記」を良く読む。書店には必ず伝記の書棚がある。どんな小さな本屋にでもある。しかもレベルの高いRowohltのシリーズをはじめとして、いくつも伝記のシリーズがある。日本では、伝記というと、どうも子ども用のもので、大人のためには「人物評伝」という言葉はあるが、あまり一般的でない。ドイツ人のほうが、自分の来し方行く末、いま立っている場所を考えたがる性向を持つということであろうか。

私も、このところ、読むもののかなりの割合が伝記物であることに気づいた。今読んでいるのは、カッシーラーの名著『カントの生涯と学説』。原題は、Kants Leben und Lehreで、きわめて美しいタイトル。なお、この本、学生時代には100頁あたりで挫折したらしい。今度は最後まで読もうと思う。

カッシーラーを読みながら、かつてよく聴いた、ポール・マッカートニーの「ラム」というLP(現在ではもちろんCD)を再び聴いていたら、いろいろなことを考えさせられた。

「ラム」は、ビートルズの解散直後、1971年に出たアルバムであり、ビートルズの後期のアルバムの延長線上の音であり、ほとんどすべての曲が素晴らしいメロディを持っていて、素人ながら、ホントこの人は天才だなあと思う。ただ、これもそんなに聴いている訳ではないから無責任な物言いであるが、その天才的なきらめきは、このLPを最後に、急速に色あせていってしまうのである。

他方で、私にとっては(全ジャンルの音楽を含めても)およそ最高の音楽作品である「アビーロード」といったLPと比較して、「ラム」に欠けているものが何かもあまりにも明らかである。他のメンバーとの化学反応といった条件がなければ、天才をもってしても成し遂げ得ることには限度があるということである。

すなわち、人間には、その者がいくら希代の天才であっても、時と外部的条件がそろわなければ生み出し得ないものがあるということだ。これを「神の采配」と呼ばずに何と呼ぶべきであろうか。ラートブルフのフォイエルバッハ伝の最後の言葉を味読すべきであろう。

しかし、それにしても徹頭徹尾美しいメロディだなあ。あまり感心しない内容の歌詞と、この上なく素晴らしいメロディ。これほどアンバランスな代物も珍しい。実体が貧しく、しかし、その形式において最高ということか。刑法ができない刑訴法学者という感じか。やはり刑法も刑事訴訟法も、両方とも大事なのですね。

盛岡も今日は夏だった

2007年6月28日

しばらく日記を書く暇がなかった。書きたいことはあったが、まったく時間がない。授業の準備と、合間に入る講演の準備で完全に時間が消えてしまう。そこに、ジュリスト特集「医療と法」のための「終末期医療と刑法」の原稿が加わり、完全に生活が破綻したというていたらくである。

終末期医療については、おそろしくたくさん文献と資料がある。川崎協同病院事件の控訴審判決が出て、町野朔先生の手厳しい(しかしおそらくは不当な)批評も公にされた。厚労省ガイドラインが公表された。国立保健医療科学院の先生方と共同研究を始めたので、お医者さんの問題意識も理解できるようになった。ということで書くべきことはたくさんがあるが、細切れのすき間時間にまとめることは至難である。締切りを1週間延ばしてもらい、昨日水曜日は、ユンケルスターを半分だけ飲んで(これが効いた)、朝早くから今朝の午前4時までかかって1万3000字ほどの論文を書き上げた。

積極的安楽死については考え方を少し変更した。呼吸器の停止については自説をよりはっきりさせた(「作為による不作為犯」のことは前面に出さず、より単純化させた)。治療中止については、法曹時報で示した見解を基本に、手続的解決も併用した。町野先生に対しては異様に攻撃的な文章になった。年上のエラい先生には多少強い批判を加えてもいいものなのだ(年下にはいけないが)。

午前4時から2時間ほど寝て6時に起床、9時の東北新幹線で盛岡に向かった。移植コーディネータの方たちに頼まれて、臓器移植関係の研修会の講師として臓器移植法の解説をする。参加者の多くは看護師さんだが、お医者さまも混ざる。こういうときに限って、話がうまくできて、最後のあたりの「泣かせどころ」では(何回もやっているので泣かせどころができている)、自分のほうが感激して、涙が出そうになる。ちなみに、渥美古稀論文集の私の論文では39頁と43頁にその部分が出てくる(笑)。

疲れていたので往復ともにグリーンに乗って、ただからだを休める。こういうお仕事なので、いただくお金は、グリーンで往復するとほとんど残らない。でも得られるものは限りなく大きい。脳外科医(業界用語で「のうげの先生」)の前で、竹内基準の問題点などを臆面もなく語ることができるようになったのは場数を踏んだおかげだ。

新幹線で盛岡まで2時間30分。駅弁がやけにおいしく感じられた。往復ともだいたい寝ていたので、時間を感じなかった。ほんのちょっとだけ石川啄木のことを考えた。

帰宅後、今日の朝刊を見て、時事問題についての園田寿さんの素晴らしい解説を読む。実学とはこういう知のことを指すのだろう。わが身を省みて恥ずかしく思う。

Kathy's Song

2012年2月19日

備忘録のつもりで始めたこの日記も,身辺の都合で,メモ書きのものを書く時間さえない日々が,ずっと続いている。もう少ししないと,「普通の教授」の生活には戻れそうにない。

そんな中ででも,やはり書いておかなければならないウルトラ・スペシャルに特別な出来事といえば,56歳の誕生日の日に,第2の母校でもあるエアランゲン大学から名誉法学博士の学位を授与されたことであろう。畏友のシュトレング氏が,定年退職を前にした最年長教授としての学部内における信頼と発言力をフルに使って運動をしてくれたことには,まことに申し訳ないと思うほかない。自分がそのような顕彰に値しない学者であることは私自身がよく知っている。何をどうすれば(しかも,この自由な時間の制限された今の環境において)恩返しができるのか,心苦しくなるばかりである。

シュトレング教授は,授与式をそれだけで単独にやると人が集まらないと考えて,エアランゲン大学法学部の「卒業式」の中で行うこととしてくれた。数年前のザールラント大学の名誉学位授与式にも出席した彼が,あれではさびしいと思ったのだという。第一次国家試験(いわゆる司法試験)の合格者および博士学位取得者への証書授与式の最後に,大学長が登壇して名誉学位授与をしてくれたのである。ただ,2月9日に設定されたのはまったく偶然であり,私の誕生日にあわせてというのではない。

こうして,1980年の冬学期に(今でも心に残る)アルツト教授の素晴らしい刑法総論の名講義を聴いた,エアランゲン大学のもっとも大きな講堂(いわゆるアウディ・マックス)において,満堂の人の前で「それでは本日のクライマックスの時が来ました」という学科長の声とともに登場させられ,シュトレング教授の業績紹介,学長による学位記授与,そして30分の記念講演という順番で,これまでの人生で最も晴れがましい経験をしたというわけだ。

かつて一緒に勉強し,今は弁護士になっている友人たちや,何より,かつてその講義を聴講し,今は定年教授になっている教授たちが何人も出席してくれた。特に,ルシュカ教授は,車いすで来てくれて,本当に申し訳ない気持ちであった。記念講演の内容は,シュトレングの勧めで,刑法に関する専門的なテーマに関するものではなく,ドイツから日本への学問の移植がもった意義に関するものであった。とりわけ「大学」という制度の輸入がもった意味,フンボルト福澤諭吉の比較,現在における大学制度のあり方などを1つにまとめた話であった。年末からお正月における読書をもとにしてでっちあげたもので,これまたお恥ずかしい内容である。それでも,人をほめないルシュカが,「よく準備したな,努力賞をあげる」といっていたから,まあよかったのだ。

この記念講演の原稿については,実はちょっとしたエピソードがある。私はA4で10頁ほどの原稿をだいたい書き上げてから,いつものように家人に軽くネイティブチェックをしてもらい,その上で,それを5人ほどのドイツとオーストリアの友人と教え子に送った。もちろんドイツ語をチェックしてもらうためではなく,内容が専門外であったため,筋が通るか,内容的に理解可能か,ドイツに関わる部分に間違いはないかを確認してもらうためであった。ところが,その5人はいずれも内容より,ドイツ語をかなり徹底的に書き直してくれたのである。私は,いっぺんに5バージョンの原稿を手にして途方に暮れることになった。学んだことは1つ,私のドイツ語はやはりかなり拙劣なものでそのままでは恥ずかしい代物だということである。私は,5つのバージョンから納得できるものをつなぎ合わせて最終原稿を作った。有難かったが,さびしい思いもしたのである(なお,この原稿は,後に,ハンス・ハイナー・キューネ教授の70歳記念論文集への寄稿論文として公表した。これに対する,ゴルトダンマー刑法雑誌の書評で,ヘッティンガー氏が好意的なコメントを寄せてくれたことも忘れがたい)。 

ところで,授与式の日の夜は,町のいちばんのレストランで,法学部の教授たちが集まってくれて会食をしてくれた。ここでも,冒頭に10分間の挨拶をさせられた。これは前日にいわれて,急遽準備したもので,いつも使っている話の寄せ集めだったが,それも仕方がない。ただ,会食時の雰囲気は,彼らが集まる通常の時よりもずっとよかったのだそうだ。あとになって何人かがそう語ってくれた。

折しもドイツは日中でもマイナス10度にもなる極寒の日々であった。ウルトラマンではないが,3分も戸外にいるとガマンができなくなる気温であった。でもその寒さをそれほど感じなかったのは,心の中が温かかったからであるに違いない。

Let It Rain

2007年11月22日

アンスバッハ市の聴衆20人の前での講演(地方新聞に広告まで出ていた)も何とか切り抜け,謝礼としてフランケン地方の豪華な写真集(Bildband)をいただいた。その写真集をあらためてみると,フランケン地方は,フランケンシュタインからする連想とは違って,美しいところなのだ。バンベルクヴュルツブルク,ローテンブルク,ニュールンベルク,アンスバッハ等々。

そういえば,先週金曜日は,ミュンヘン大学滞在中の島田聡一郎さんもこちらまで訪ねてきてくれ,一緒にニュールンベルクを散歩した。たしかに,美しい街であると再認識した。有名なお店で,焼きソーセージとザウワークラウトを食べたが,ご一緒した人が良かったのか,なかなかおいしいものであった。島田さんは,希代の秀才であるが,素晴らしい人柄のかたで,こういう状況でないとゆっくり話をすることもできなかったはずで,今回の在外研究の1つの大きな収穫だったといえよう。

とにかく土曜日までにジュリスト特集の原稿を書かなければいけないので,尻に火がついている状況である。まあできたところで手放すほかはない。こういう状況になると,ひねくれ者の私は,全く関係ない本が読みたくなったり,DVDが観たくなるのでやっかいだ。

ちなみに,最近読んでいるのが,エリック・クラプトンの自伝のドイツ語訳である(まだ日本語版が出ていないようだ)。最初は面白くて読み出すとやめられないほどであったが,女性関係の話とドラッグと酒の話題ばかりで,読むのが辛くなってきた。それにしても大変な人生であるなと思う。62歳で「私の人生」は早すぎるかと思ったが,ここまで生きてこれているのが奇跡であるのかも知れない。

本といえば,こちらにきて,日本にはないと思うところがある。それはショーウィンドーのことで,以前は「閉店時間法」が厳しく,「労働者保護」の名目で,午後6時には店が閉まってしまい,土曜日も(月一回の例外を除いて)午後2時まで,日曜日は完全に閉店という状況で,非常に不便であり,また楽しくもなかった。今でも,多少事態は改善されたとは言え,平日は店は7時か8時ぐらいまでであり,日曜日は完全に閉まってしまう。そこで,当然のことながら,ショーウィンドーをのぞきながら歩くという時間が増加することになり,店の方もそこに力を入れるようになる。

そういった中で,大学そばの本屋のショーウィンドーには,教科書の最新版が並ぶことになる。そこで,私などは,当時,毎日のように,そういうショーウィンドーに飾られる本を見ながら,「ああ,あの教科書の第2版が出たんだ」とか「あの本は18版になったんだ」とつぶやく機会が多かったわけだ。私にとっての原体験の1つであるかも知れない。今回も,そうやって,ショーウィンドーの前に立ち止まりながら,はじめての留学当時,まだ版の若かった民法の教科書などが分厚くなって,版を重ねていたり,あるいは改訂の仕事が弟子に引き継がれているのを見て,時の流れを強く感じることがある。また,時の流れを超えて読み継がれる教科書たちにも憧れを感じる。

当時からよく読まれていたウェッセルスの教科書は,総論がボイルケという人に受け継がれ,ウェッセルスの死後も版を重ね,毎年改訂版が出る(CDROM付きもある)というベストセラーになっている。何冊目になるか分からないが,今回もその37版を買ってしまった。

私の基礎から学ぶ刑事法は,現在,第3版で,そろそろ第4版をという話もあるが,もし37版を出すためには400歳ぐらいまで生きなければならないであろう。神があれほど乱脈な人生を送ってきたエリック・クラプトンに62年以上の寿命を与えているのだから,私には400年ぐらいくれてもよさそうなものだ。

Never Be the Same

2008年4月13日

ドイツから帰国して1か月以上が経過。新学期の授業を1週間分やったが,非常に身体にこたえた。1つの原因は,1週間前の土曜に食べた皿うどんの具(サンドウィッチマン風にいうと,「死んで間もない魚介類」)にあたったのではないかと思うが,消化器をやられ,絶不調であったこと。ちょうどこの前,ドイツで書いた教科書の(大量の)ゲラが出てきたところであるが,ゲラとゲリとゲロに悩まされたというわけだ。汚くてめんご。

昨日は,午前中に,三田で法科大学院と学部の医事法の授業をして,波長の合う人間2人と食事をした後,夕方に帰宅できたので(そういえば,むかし小坂忠の曲で「夕方ラブ」という傑作があったなあ。いうまでもなく,ユーガッタラブとかけている),最近購入したマウンテンバイクを駆って家を出た。

京王多摩川から是政駅を経由して府中まで走ろうとしたが,是政駅近くで車道を横切ろうとして,スピードを出しすぎたため,前輪のブレーキ(のみ)を強めにかけたところ,後輪が飛び上がって一回転し,地面に投げ出された。大けがをしなかったのが不思議だし,車が来ていたら事故になっていたところだが,不思議なことに付近には通行人1人いない(マンションの部屋の窓から見ていた人がいるかもしれない)という状況で,「ははは,ドッキリカメラですよー」とつぶやき,1人照れ笑いをしながらその場を走り去った。さすがにミヤタのマウンテンバイク。ブレーキは本当によくきく。普段は後輪のブレーキをかけるようにしなければならないのであろう。

そこから,府中に行くのはやめにして,京王多摩川方向にもどり,調布のパルコに行くことにした。本屋に行っても,これ以上本を買うのはお金を捨てるようなものであることは分かっている。自宅の書斎にも大学の研究室にも読みたいと思って,読んでいない本がおそらくは3桁の数で存在する。最近,音楽CDは,買っても,1回通して聴けばよい方だ。勉強机の下には,1曲目だけしか聴いていないというようなものが何十枚とありそうだ。

しかし,調布パルコの山野楽器で見つけてしまったのは,ジェイ・グレイドンが仲間のミュージシャンと14年前に日本で行ったコンサートのDVDである。7000円以上したが,買ってしまう。画質も音質も良くないが,超一流の連中の音楽はやはりよい。名曲「ロクサーヌ」も演奏している。DVDプレーヤーの電源を切るときに,偶然,BSのある番組で日本のバンドが演奏している様子が写った。ロクシンの総論教科書と,安平政吉の教科書ぐらいの差異がそこには存在する。

お前の授業は,前者と後者のどちらに近いかと問われると,後者に近いのは明らかだ。それでも,何とか体調だけは整えて,来週の授業を頑張ることとしよう。

Devil's Child

2008年10月8日

ようやく教科書の校正を終え,ドイツにて数箇所で行った講演原稿を論文にした「法発見の方法」(シュワルツ教授祝賀論文集掲載)のゲラも戻した。これで,ドイツ滞在中で行った仕事のほとんどにケリをつけたことになる(実はもう1つあるが・・・)。

ストレス発散のため,いくつかの工夫を試みる。まずは,先週のジューダス・プリーストのコンサート。これは追加公演を狙っていち早くアプローチしたことが功を奏して,前から7列目というとてもよい席をゲットした。だが,余りの音響に耳をやられ,翌日まで耳がおかしかった。数十年前のレッドツェッペリンのときと同じ状態である。もちろん,Devil's Childなんて曲までやってくれて大満足ではあった。

ストレス発散のためには「衝動買い」がいちばん。大学のパソコンが真新しい最新のMacBook Proにリプレイスされ,これはストレス発散に若干役立った。しかし,これも長く続かない。そこで,新宿のペットショップで生後3カ月のキャバリアを買った。18万9000円という値札が付いていたが,保険やら何やらで24万円ぐらいになった。問題なく家族にも受け入れられ,レオンという名前が付けられた。ひざの上で寝かせて仕事をしたりしているので,最近,何だか自分のからだが犬くさくなった気がする。

次いで,iPhoneを購入。これは非常に調子がいい。世上厳しい評価が多いようだが,これが余りに素晴らしいので,皆がiPhoneに乗り換えることをおそれる人々がわざと悪い評価を流しているのではないかと勘ぐりたくなる。もちろん使い方によっては毎月の料金が高くなりすぎるのかもしれない。しばらく余り使いすぎないようにして,様子を見たほうがいいな。

さらに勉強部屋に新しいアンプとスピーカーを導入することを画策している。まあこの衝動買いの悪の連鎖を断ち切るためには,その欲求を感じなくするため,ストレス自体をなくすことが望ましいのであろう。10月20日の京都の某大学での講演と,11月7日の韓国の刑事政策院での講演を乗り越えれば,少し楽になるかもしれない。ロブ・ハルフォードは世界中を公演して回ってストレスを感じていないみたいだが,見習うべきであろう。