Another Day

2007年7月29日

ドイツの人は「伝記」を良く読む。書店には必ず伝記の書棚がある。どんな小さな本屋にでもある。しかもレベルの高いRowohltのシリーズをはじめとして、いくつも伝記のシリーズがある。日本では、伝記というと、どうも子ども用のもので、大人のためには「人物評伝」という言葉はあるが、あまり一般的でない。ドイツ人のほうが、自分の来し方行く末、いま立っている場所を考えたがる性向を持つということであろうか。

私も、このところ、読むもののかなりの割合が伝記物であることに気づいた。今読んでいるのは、カッシーラーの名著『カントの生涯と学説』。原題は、Kants Leben und Lehreで、きわめて美しいタイトル。なお、この本、学生時代には100頁あたりで挫折したらしい。今度は最後まで読もうと思う。

カッシーラーを読みながら、かつてよく聴いた、ポール・マッカートニーの「ラム」というLP(現在ではもちろんCD)を再び聴いていたら、いろいろなことを考えさせられた。

「ラム」は、ビートルズの解散直後、1971年に出たアルバムであり、ビートルズの後期のアルバムの延長線上の音であり、ほとんどすべての曲が素晴らしいメロディを持っていて、素人ながら、ホントこの人は天才だなあと思う。ただ、これもそんなに聴いている訳ではないから無責任な物言いであるが、その天才的なきらめきは、このLPを最後に、急速に色あせていってしまうのである。

他方で、私にとっては(全ジャンルの音楽を含めても)およそ最高の音楽作品である「アビーロード」といったLPと比較して、「ラム」に欠けているものが何かもあまりにも明らかである。他のメンバーとの化学反応といった条件がなければ、天才をもってしても成し遂げ得ることには限度があるということである。

すなわち、人間には、その者がいくら希代の天才であっても、時と外部的条件がそろわなければ生み出し得ないものがあるということだ。これを「神の采配」と呼ばずに何と呼ぶべきであろうか。ラートブルフのフォイエルバッハ伝の最後の言葉を味読すべきであろう。

しかし、それにしても徹頭徹尾美しいメロディだなあ。あまり感心しない内容の歌詞と、この上なく素晴らしいメロディ。これほどアンバランスな代物も珍しい。実体が貧しく、しかし、その形式において最高ということか。刑法ができない刑訴法学者という感じか。やはり刑法も刑事訴訟法も、両方とも大事なのですね。