With A Song In My Heart

2009年3月19日

数か月にわたり日記を書いていないが,相変わらずの毎日を相変わらずの態様で過ごしている。小さな仕事は無数に存在しており気が重くなるが,適当な時期に準備を開始し,直前の日々を適度に頑張れば,うまくか,あるいはまずくか,いずれにせよ,何とか乗り越えられるというわけだ。

そういう対応では十分とはいえない,大きな仕事もある。それは,5月末に開催される,ある大きな学会の大会準備の仕事だ。責任者であるとはいえ,賢い人が何人か協力してくれるので,落ち着いてひとつひとつ片付ければ,大過はないはずだが,すでに何度かポカをやらかし,危ない目にあっている。無事に開催にこぎ着けることができるのを祈るばかりだ。

昨日と今日は,ある出版社の,ある本の編集会議を兼ねて熱海に一泊,泊まり込んだ。明治大学の川端博先生,立命館大学の浅田和茂先生,東京大学山口厚さんというそうそうたるメンバーで,一緒に温泉につかったり,同じ部屋に寝るというのは,やはりどこか心穏やかならぬものがある。やはり朝早くに目が覚めた。部屋を抜け出し,熱海駅前まで散歩して,駅前のマクドナルドで,コーヒーを飲みながら,ハイデッガーを読んだが,やはり『存在と時間』はすごい,革命的な本だと感じた。特異なシチュエーションのために,ハイデッガーの凄さを余計に感じたというわけであろう。

皆さんと一緒に楽しくMOA美術館をゆっくり見て回った後,車の混雑を避けて早めに東京にもどった。いつの間にか,東京はすっかり春になっていると感じた。

こういう週末の旅行は本当に久しぶりである。週末の旅行などまずしないのは,人がたくさんいるところ,混雑するところが嫌いだからだ。車の混雑と人の混雑を見ているだけで,げんなりして眠くなってしまう。学者になってよかったと思うことの1つは,平日にある程度,自由な時間が持てることだ。週末や休日は,家でしこしこ仕事をするに限る。

しかし,そういう私がゴールデンウィークにドイツに旅行することになった。ドイツのある組織から,とある賞を受賞することになり,その授賞式が5月6日にボンで行われる。前後あわせて10日ほど,あちこちを回ることにして,先日,飛行機と宿泊場所を予約した。ビジネスクラスの航空運賃を含めてすべてお金はあちら持ちで,申し訳ない限りであるが,ハンブルクとケルンとニュールンベルクに3日ないし4日ずつ宿泊することにした。それぞれの場所に,今回の件で,また別件で,お礼を言わなければならない人がいる。

旅行といえば,仕事がらみで,先日,高松の飯島暢君のところに行った。瀬戸内海の眺めは良かったし,飯島君の楽しい話を聞きながらのうどんすきもおいしかった。人と車の少ない地方都市に行くと,ほっとするところがある。これで,新宿西口にできたブックファーストぐらいの規模の大きな本屋さんがあれば,いうことなしだ。真剣に移住を考えるであろう。

さあ,今週の仕事はなんだ。そうか,今週は,ケーススタディ刑法の第3版(日本評論社)の原稿を仕上げ,刑法事例演習教材(有斐閣)の原稿を仕上げ,「犯罪と非行」誌掲載の論文を書き上げ,法学教室連載の原稿を書き上げるだけだ。これなら軽く完成できる・・・はずがない。

Please Don't Betray Me

2007年7月4日

多方面への怒りを感じることのみ多い今日この頃であるが、恩師の宮澤浩一先生であれば、「裏切らないのは、学問だけだよ」とか、おっしゃることであろう。

その宮澤先生に捧げる『変革の時代における理論刑法学』が出来上がってきて、ちょっと気づいたことがある。タイトルが長い。長井長信教授だ(もし長井さんに伝わったらごめんなさい)。

そういえば,10年ほど前に『犯罪論の現在と目的的行為論』という論文集を成文堂に出してもらったが、そのときに一冊お送りした、ある先生がお礼状に「書名が長すぎる」という感想を書いてこられた。私は「余計なお世話だ、中身を批評してくれ」と思ったことがある。今回はもっと長い。ざまあみろ。 

献本ということで申し訳ないのは、こういう学術的な著書については、たくさんの人には献本ができないことである。私の最近の原則は、単独著については、初回の原稿料ないし印税収入分をすべて献本に充てるというものである。そこで、某出版社に出していただいた刑法各論についてはかなり広範囲に(200近い数だったかと思う)差し上げることができた。今回は、その原則でいくと、60部程度しか献本できない。そこで、若干自腹を切って上乗せして献本リストを作ることにした。

献本リストには、お世話になった広義の恩師の先生方、自校関係者(同僚)、特に関係の近い学者と実務家の方々、かつて私の本に書評を書いて下さった方(君のことはいつまでも忘れないよ)、いつも本を下さる方々、そして直近に著書を下さってお礼状も書いていない方々が載るが、そうすると優に100を超える。それに加えて,今は亡きフランツ・フォン・リストもリストに載せる。だって,献フォンリストっていうぐらいだから(これは高橋則夫さんのギャグだったかしら)。冗談はともかく、今回は、非常に高齢の方と年下の方を外すことで、何とか献本リストを完成した。申し訳ないが、こちらも本を出すたびに家計が苦しくなるというのでは理不尽なので、ご勘弁下さい。

今回の本は宮澤浩一先生に捧げる本であるが、一冊お送りしたところ、早速、奥様から詳細なお手紙が来て、先生のご体調は悪くなく、新聞を読んだり、CDを楽しんでいらっしゃるとあった。私にとっては、最近の一連の出来事にまつわる怒りと悲しみの全てを帳消しにしてあまりあるお手紙であった。

Alone

2007年10月3日

日曜日から昨日まで、韓国の清州市に行っていた。清州大学校法学部の趙君(Cyo Byung-Sun)と懇意なのだが、来年の秋にお互いの大学間で協力して共同シンポをやろうという話から、手始めに小さな講演会をやりたいから来てくれということになって急に出かけることになった。同僚の民訴の三上威彦教授に(ドイツ法系のよしみということで)無理に同道をお願いして2人で清州市まで行ってきたというわけだ。

1日目はソウル市のキョンボックンやチャンドックンなどの名所を案内してもらい、夜、清州市に移動、ラマダ・ホテルという高級ホテルに泊めてもらい、2日目は、清州市内観光後、大学の副学長を表敬訪問、16時30分から「現代日本における法的諸問題」という立派な講演会を開催してもらった。もちろん韓国語ができないわれわれは、挨拶だけはたどたどしい英語でしたが、後は(これもたどたどしい)ドイツ語で講演をした。学部の教授たちの顔も見えたが、学生も多く列席していた。

三上教授は日本のロースクール制度の話をした。韓国もこれを導入することを決め、清州大学校も設立を決定したところなので、かなり関心を呼んでいた。ただ、韓国では、ロースクールを持とうとする大学は法学部を廃止しなければならないということで、かなりリスクを負うことになり、しかも定員は最高150人で、最終的にはあちらの文科省が定員を決めるということであった。清州大学校では法学部は150人定員規模のロースクールの実現を目ざしたが、学長は予算の関係(特に教員を集めるのが大変)でこれに抗い、結局100人で妥協したという、どこかの国のどこかの大学と同じような出来事もあったという。

私は、「日本における殺人罪」という(私にとって)定番(と勝手に思っている)の話をした。韓国語に訳してくれたのはバーゼルで学位を取ったLeeさんだから、内容はよく伝わっていると思ったが、翻訳が読まれているときに学生たちの顔をながめていると、いまいち反応がなかった。それでも途中で会場を出て行く学生は殆どいないので、ちょっと不審であったが、後で謎が解けた。趙君のゼミの学生40人が出席を強制されたのだ。講演後には、ゼミ代表らしき学生が出席を確認していたのには苦笑した。これもどこかの国の講演会でもよく見られることであろう。

3日目は、清州市から1時間ぐらいのところにある法住寺という有名なお寺を参観した。お寺の僧侶らが食べる料理までご馳走になり、感激した(が、食に関する順応性の低い私は、すぐにマクドナルドに行きたくなった)。帰りは、ソウル市内の渋滞に巻き込まれ、金浦空港には出発時間少し前に到着。こちらは遅れたら遅れたとき、と悠然と構えていたが、趙君はかなり焦ったらしい。帰国してメールを確認すると、空港到着が遅くなったことを詫びる趙君の長いメールが届いていた。とんでもない、申し訳ないのはこちらだ。

韓国の人たちとの交流のために何とか役に立ちたいと思うことしきりである。まずは、ハングルの勉強を進めなければ・・・・。これだけでも読めるようになろう。

趙君が今日くれたメールには、「君の感謝の気持ちはすでに韓国にいたときに君から伝わってきた。人の人生はもともと孤独なもの(einsam)だから、そういうことを感じると幸福になれる」とあった。「人の人生はもともと孤独なものだから」という泣かせる一節を読んで、高中正義の「Alone」のメロディが心の中に響いた。

But Beautiful

2020年1月10日

お正月のメリットはただ1つ,ほとんど邪魔されずに机に向かえること。デメリットは,運動不足で便秘気味になることを別にすれば(失礼!),人と話す機会が激減するせいか,口頭で自己を表現する能力,そして,自分の置かれている状況を適切に把握して他人とスムーズに言葉を交わす能力が著しく低下することだ。若い頃のヘーゲルみたいな人間になる。さる月曜日に,とことこ,誰にも会わないだろうと,だらしない格好で研究室に出かけていったが,エレベータで派遣検察官の島田健一教授と一緒になり,島田さんは,昨日購入したかに見えるような,しわ1つない三つ揃いのスーツをばしっと着ていらっしゃるので,年始のあいさつもせずに,「せ,せ,先生,今日は,何かイベントでもあるんですか?」と素っ頓狂な声を上げたところ,静かに「授業ですよ。」と言われ,恥ずかしかった。思えば,島田さんは,いつもきちんとした格好をしておられる。さすがお上の走狗,いや検察官である。本当は大学教師もそうでなければならないのであろう。服装の乱れは心の乱れに通じる。最近は,いつも同じ(洋服の青山で買った)くたびれたスーツ,そして,授業でも会議でも,ノーネクタイで臨むことが多いが,年が改まったのを機に,身だしなみだけはきちんとすべきであろう。今日は,帰りに伊勢丹に寄って,サルヴァトーレ・フェラガモのスーツを買おう。

年を越えて新年に持ち越した仕事は,いずれもドイツからの依頼の仕事である。年末になって仕事を片付けようとあせっても,そう簡単にできない仕事は残ってしまうから,ドイツ語の仕事がたくさん越年してしまうのも「事物の本性」というべきか。そういえば,事物の本性を「じぶつのほんしょう」と読む人がいたな。カッコ悪い。牽連犯を「けんれんぱん」と読んだり,保釈保証金の没取を「ぼっとり」,井田良を「いだりょう」と読むのと同じぐらいカッコ悪い。ちなみに,司法修習生に「いだりょう」という別人の男もいるし。

重い仕事の1つは,ウルリヒ・ジーバー(正確には,ズィーバーか〔笑〕)の古稀祝賀論文集に寄稿するための論文である。昨年12月31日が締切であったが,几帳面なドイツ人たちであるとはいえ,来週中に出せば受け付けてもらえるであろう(と勝手に決めつける)。論題は,Zur Wahrheit der strafrechtlichen Problemlösung,すなわち,「刑法的問題解決の真理性について」。すでに一昨年,ドイツのあるところで話した内容を原稿化したものであり,2017年にシュトレング祝賀論文集に出した論文の続編でもある。実は,慶応での最終講義で話した内容でもあるし,『法を学び人のための文章作法』という本に書いたことを凝縮して,少し深く掘り下げ,注を付けるとこの論文になる。

ちなみに,シュトレング祝賀論文集への寄稿論文は,ドイツで引用されたり,言及されたりしているのを見たことがない。いわゆる「完無視」である。こういう書いたものを完無視されるのは,別にドイツに限らず,日本においても同じである。私が書いた論文の中で,相当の力を注いだものとして,「犯罪論と刑事法学の歩み---戦後50年の回顧と展望」(法学教室)とか「平成時代の刑法学説」(刑事法ジャーナル)とかあるが,引用されているのを見たことがない。こういう「完無視現象」は,若い頃はとても気になったものだが,年をとるとまったく気にならなくなる。人にどう見られているか,人がどう評価しているか,自分の論文が引用されているかどうか等々について関心がなくなるのである。学者はそれでよいと感じる。人にどう評価されているかなどを気にし始めたら,それは学者の堕落なのである。

そうだとすると,服装や身だしなみを気にするのは,論文の社会的評価を気にすることに通じるであろう。それは学者としての堕落であろう。やはり,くたびれたスーツ,ノーネクタイでかまわないのだ。フェラガモのスーツを買うのはやめよう。今日もいつものスーツで出かけよう。

Du bringst mich um (den Verstand)

2007年9月17日

10月9日をもって海外へ逃亡しようと画策しているのであるが、本当に脱出できるのかにはきわめて疑わしいものがある。急遽、韓国に2泊3日で行く予定まで入ってしまった。判例百選の原稿をはじめ、いくつかの仕事は出発前に着手できる気配がない。しかし、そのようなことはもはやどうでもよく、とにかく思いつくものから片付けていく。学内外のいくつかの委員会の委員については、あるものはこれを機会にやめたり、交替してもらう。そんなことをしているだけで時間がかかる。それでもおそらく何か忘れるであろうが、そのときはもう仕方がない。 Ich habe keinen Ingwer!

ところで、先週、法科大学院の入試の採点を3日ほど行ったが、学内のある場所に9時に集合して午後5時過ぎまで作業をするという、ふつうの会社勤めの人であれば当然の仕事をするだけで、生活は破綻した。帰宅すると、郵便物が山と積まれ、未読メールが無数に出きて、睡眠不足になり、某所からの帰り、新幹線の車内で爆睡して、通路側に半分身を乗り出していびきをかき、車掌さんに注意されるということもあった。もし午前9時から午後5時までの生活を1か月間でも続けたなら、慶應病院で安倍さんの隣のベッドに入院とでもいうことになろう(安倍さんが個室でないわけはないが)。

忙しいと購買欲が出てきて、大山徹君(現在・杏林大学)と一緒に新宿のヨドバシカメラに行き、驚く大山君を尻目に、ダイナブックの1キログラムぐらいの軽いのを衝動買いする。こういうのを駆使して、喫茶店で、コーヒーを飲みながら、文章を書く。そういうのにあこがれる。しかし、書いている内容が「行為者が強姦の実行に着手した後、被害者が財布を所持していることに気付き、これを奪おうと決意したような場合には・・・・」みたいなのでは話にならないであろう。

最近よく聴く音楽は、キースジャレットのひくクラシック、よく飲む飲み物は、どういうわけかブラックのコーヒー、最近読んだ本としては、星野英一『ときの流れを超えて』(有斐閣)、樫の会『日本の基本問題』(勁草書房)、ペーター・シュナイダー『せめて一時間だけでも』(慶應義塾大学出版会)。いずれもお勉強になりました。特に最後の本は、ナチス時代の状況のことを、われわれが意識してこなかった面から描いた本(映画『戦場のピアニスト』との関係は不明。誰か教えて下さい)。この本でさえ、ドイツの自己正当化の試みとして批判する向きがあるというのだから驚く。

Teach Your Children

2007年12月25日

ドイツにおける私の下宿(ゲステハウス)は,3階にあるが,その建物の1階はスーパーである。日曜を除き,午前7時から午後8時まで開いているので,とても便利である(唯一不便なのは,飲料については,別に専門店舗があり,そこまでが数百メートルあるということだ)。そのスーパーで,日本の飲料が売られている(小型の容器に入ったやつで,以下においてはこれを「X」と呼ぶ)。ドイツで「X」がどこまで浸透するかは興味のあるところであるが,そのことはともかく,「X」といえば,私には苦い記憶がある。

子どもの頃,家に「X」の販売員のおばさんが訪ねてきて,母親に「X」を定期的にとることをすすめたことがある。母は体よく断ったが,販売員が帰り際に,私に1つくれたのである。もちろん私は飲んでみたかったので喜んでもらったのであるが,そのことで後に母親にこっぴどくしかられたのである。どうせとらないのであるからもらうのは悪い,という(大人の)論理であるが,しかし,好意は素直に受けるべきだというのも,子どもにとっての正しい行動準則であるはずで,やはりそのとき,私は不当に非難されたというべきであろう。

この小さな事件(子どもにとっては大事件たり得る)において,一番悪いのは販売員のおばさんであろう。もし子どもを利用して「X」を定期購入させようとしていたとすれば(個別事例としてはともかく,販売戦術として,特に子どもに飲ませて,これを味方につけるというやり方が合意されていた可能性はある),最大限に非難に値することであろう。この種のやり方(子どもという親にとっての泣き所を利用して金を出させる)が世の中に横行していることは,子どもを育てると,日々感じさせられるところである。

その最もひどい実例は,熱海で経験した「ガッチャマン・ショー」だったか「ジューレンジャー・ショー」だったかで(名称についての記憶は曖昧),入場料は安いのだが,ショーの終了後,おもちゃの入ったセットを2000円かなんかで,主人公のヒーローとの握手付きで,買わせるというやり方であった。満員の会場が阿鼻叫喚に陥ったことはいうまでもない。あの頃,会場で泣き叫んだが買ってもらえなかった子が後に殺人事件を起こしたとしても,私が裁判官であったなら有罪にはできないであろう。むしろショーをやっていた連中は即日裁判で死刑である。私は死刑廃止論者であるが,例外を認める。

ということで,ドイツは憲法基本法)を改正して,子ども保護の条項を入れるかどうかの議論をしているが,私は賛成したいところだ。

ところで,その後,16日から1週間,ザールブリュッケンというところにいた。慶應とザールランド大学の提携に基づき,私のほかに5人の同僚が日本からやってきて,1週間の国際シンポ(会議自体は3日)が開かれたのである。統一テーマは「法発見の方法」であり,私も刑法に偏らないように原稿を準備したが,ほとんどの報告は自分の分野に引きつけたもので,よくわからないものが多かった。しかし,まあ,国際会議はいつもこんなものだ。

私の報告は,「法発見の方法,刑法を中心として」というもので,風邪をひいて最悪のコンディションの中で1週間で書き上げたものだ。聴衆は10人少しであったし(しかも,半分は日本からの参加者・笑),また,大した議論も起こらず,物足りなかった。今回は,この原稿に少し手を加えて,今後,何箇所かで話をする予定である。自分なりの思い入れのある内容なので,どういう反応が返ってくるかが楽しみではある。

Here I Go Again

2006年11月22日

締切りを過ぎた原稿が3つある状況で、1つについては催促を受けて、一週間の猶予をもらう。そこで、まず仕上げなければならない論文を何とか書き上げて送信をすませた。おかげで生活破綻である。出来た原稿は、12月14日・15日にソウル大学で予定されている、「21世紀の刑罰制度」というテーマの国際セミナー(韓国刑事政策院主催)での報告のためのものである。論題は主催者に指定されたもので、「日本における量刑法改革の動向」である。「量刑法」というのは日本ではなじみのない概念なので、変更したかったが、先方からの指定なので、異を唱えないこととした。法定刑の引上げの問題と、裁判員制度の下での量刑の在り方について論じてほしいというのが依頼の内容で、自信のないまま、韓国語に訳されることを考えて、文章を短くし、行間が飛ばないように配慮しつつ、何とかまとめた。

量刑については、今やせっかくこれだけ議論が盛り上がっているのだから、議論に付いていって、何か問題解決に寄与したいと思いつつも、まとまった勉強ができない有り様である。大阪刑事実務研究会の長大な研究も、ずっと気になりながら、読もうと思っても、何しろコピーする時間もない。この間、時間を空いたので、早速図書館でコピーをはじめたが、半分もコピー出来ないうちに時間切れとなった。情け無いことである。

今回の論文も状況をまとめただけの代物で、その状況把握も批判に耐え得るものであるかどうかわからない。本当は専門家の小池信太郎君あたりに読んでもらってチェックしてもらえばいいのだが、その時間もなかった。

量刑は、大学院のときのドイツ留学中にドイツの文献を中心にまとめて勉強し、助手のときに、幻の「現代刑事政策講座」(企画そのものが潰えてしまった)に出す予定であった幻の「刑の量定」の原稿を書きながら(思えば、それが出版社から依頼されたはじめての仕事であった)、日本の文献を中心に勉強しただけである。その後、恩師中谷瑾子先生に「解釈論の中心領域から逃げるな」と言われて、研究テーマを錯誤論に変えてしまった。

ところが、思いがけないことに、それからずっとしてから,量刑についてかなり議論が出てきて、実務家も理論研究に関心を持つようになった。現在では、最も盛んに議論されているテーマの1つになったといえよう。マラソンで、先頭グループが飛び出したときに、頑張ってその後ろにでも付いていく。今から振り返れば、そういう気概と心構えが必要であった。それなのに、先日の高橋尚子のような走り方をしてしまった。頑張っていれば、研究に多少の寄与が出来たかも知れないと思うと残念である。

まあいいさ、私には目的的行為論の研究が残っている。このテーマについては先頭を独走しよう。おっと、コースから外れているって。そればかりか、お前はコースを走っていると思っているかも知れないが、そこには道も何もない、だって?