Teach Your Children

2007年12月25日

ドイツにおける私の下宿(ゲステハウス)は,3階にあるが,その建物の1階はスーパーである。日曜を除き,午前7時から午後8時まで開いているので,とても便利である(唯一不便なのは,飲料については,別に専門店舗があり,そこまでが数百メートルあるということだ)。そのスーパーで,日本の飲料が売られている(小型の容器に入ったやつで,以下においてはこれを「X」と呼ぶ)。ドイツで「X」がどこまで浸透するかは興味のあるところであるが,そのことはともかく,「X」といえば,私には苦い記憶がある。

子どもの頃,家に「X」の販売員のおばさんが訪ねてきて,母親に「X」を定期的にとることをすすめたことがある。母は体よく断ったが,販売員が帰り際に,私に1つくれたのである。もちろん私は飲んでみたかったので喜んでもらったのであるが,そのことで後に母親にこっぴどくしかられたのである。どうせとらないのであるからもらうのは悪い,という(大人の)論理であるが,しかし,好意は素直に受けるべきだというのも,子どもにとっての正しい行動準則であるはずで,やはりそのとき,私は不当に非難されたというべきであろう。

この小さな事件(子どもにとっては大事件たり得る)において,一番悪いのは販売員のおばさんであろう。もし子どもを利用して「X」を定期購入させようとしていたとすれば(個別事例としてはともかく,販売戦術として,特に子どもに飲ませて,これを味方につけるというやり方が合意されていた可能性はある),最大限に非難に値することであろう。この種のやり方(子どもという親にとっての泣き所を利用して金を出させる)が世の中に横行していることは,子どもを育てると,日々感じさせられるところである。

その最もひどい実例は,熱海で経験した「ガッチャマン・ショー」だったか「ジューレンジャー・ショー」だったかで(名称についての記憶は曖昧),入場料は安いのだが,ショーの終了後,おもちゃの入ったセットを2000円かなんかで,主人公のヒーローとの握手付きで,買わせるというやり方であった。満員の会場が阿鼻叫喚に陥ったことはいうまでもない。あの頃,会場で泣き叫んだが買ってもらえなかった子が後に殺人事件を起こしたとしても,私が裁判官であったなら有罪にはできないであろう。むしろショーをやっていた連中は即日裁判で死刑である。私は死刑廃止論者であるが,例外を認める。

ということで,ドイツは憲法基本法)を改正して,子ども保護の条項を入れるかどうかの議論をしているが,私は賛成したいところだ。

ところで,その後,16日から1週間,ザールブリュッケンというところにいた。慶應とザールランド大学の提携に基づき,私のほかに5人の同僚が日本からやってきて,1週間の国際シンポ(会議自体は3日)が開かれたのである。統一テーマは「法発見の方法」であり,私も刑法に偏らないように原稿を準備したが,ほとんどの報告は自分の分野に引きつけたもので,よくわからないものが多かった。しかし,まあ,国際会議はいつもこんなものだ。

私の報告は,「法発見の方法,刑法を中心として」というもので,風邪をひいて最悪のコンディションの中で1週間で書き上げたものだ。聴衆は10人少しであったし(しかも,半分は日本からの参加者・笑),また,大した議論も起こらず,物足りなかった。今回は,この原稿に少し手を加えて,今後,何箇所かで話をする予定である。自分なりの思い入れのある内容なので,どういう反応が返ってくるかが楽しみではある。