Ich weiß, auch die schönste Zeit geht irgendwann vorbei.

2008年2月21日

昨日は,バーゼル滞在における空白の一日。もともとベルンにグンター・アルツト氏を訪ねるためにとっておいたのだが,少し前から何度か電話しても不在のまま。噂では学問の世界からは完全に身を引いているということだし,また旅行が好きだから,どこかに長期で出かけているのかもしれない。いずれにしても,彼に会うのはあきらめたが,それでもベルンに出かけることにした。素晴らしい快晴であったこともあるが,ベルン市内にあるGerechtigkeitsgasseの正義の女神をデジカメで撮影したいという気持ちもあったのだ。

有名なこの女神像は,鋭い剣を前にかざしていて,ちょっと「力」の側面が強調されすぎているのだが,しかしやはり素晴らしい。4月号からはじまる法学教室の連載の1回目に「コラム」としてこれを出したかったのだ。そこで,バーゼルから往復2時間ほどをかけてベルン市まで出かけ,小一時間かけてデジカメで何十枚もあらゆる角度から撮影した。オート,マニュアル,プログラムと全てを試みて,何とか満足できるものを撮影することができた。

この女神像は10年ほど前に破壊されることがあって,それからコピーが置かれることになったはずである。破壊された原物は博物館にでも展示されているのかもしれない。

ベルン市はほとんど変わっていないという印象を受けた。かつて1月ほど住んだことがあるが,それは20年も前のことである。日本で臓器移植法が国会を通った年にも,しばらくこの町にいた記憶がある。ただ,よく食事をしたレストランが見つからず,その場所にはマクドナルドがある。仕方ないので,ちょっとしゃれたイタリアレストランでピザを食べた。

正義の女神像のあるところのすぐそばに,かつてアインシュタインが2年間住んだ住居がある。彼は市役所の職員だったかで,合計ベルンに5年間住んで,ここで特殊相対性理論に関する論文を書いたということで有名である。郊外に立派なアインシュタイン博物館も出来た。しかし,今日のところは,正義の女神も撮影し,おいしいピザも食べたので,まだ日が高いうちに,バーゼルに帰ることにした。旅行をするときには全てを見てはいけない,次に来る理由がなくなるから,というのは恩師,宮澤浩一先生の名言である。

今日は,バーゼルを発つ日で,ホテル(大学がとってくれたホテル・バーゼル)から市電の停留所に向かう途中,マルクト広場の立派な市庁舎を見上げると,その中央の高いところにやはり正義の女神がある。目隠しをしていない,ちょっとおとなしめの女神である。

ということで,私の在外研究ももうすぐ終わりを迎える気配である。主目的であった教科書(『講義刑法学総論』)の原稿は,12月末には脱稿の予定が,結局,2月はじめまでずれこんだが,何とか30章,1頁目の刑法の意義から最終頁の満期釈放者に対する保護観察の問題まで無事に書き上げた。最初,詳しく書きすぎて(因果関係論だけで印刷頁で25頁ある)編集者からストップがかかり,未遂論から急に簡単になり,そして何より『刑法総論の理論構造』の簡略版(前半3分の2はまったく違う書きっぷりなのに)のようなものとなり,刑罰論はあらすじだけになってしまった。それでも600頁弱になると思う。校正がかなり大変だろうな,それが今から心配である。原稿を書いていて生命の危機を感じたのはこれがはじめてである。命が縮む思いが何度かした。同じ分量の各論の教科書など,体力的にもう絶対に書くことは出来ないと思う。

もう1つは,上述の法学教室の連載で,これは数年前からの懸案で,基礎から学ぶ刑事法の純粋刑法版(超やさしい刑法総論・各論入門)ということで約束したものである。同じ有斐閣の教科書担当の編集者の方が,教科書の原稿ができるまでと身を挺してストップしてくれたおかげで,今年度まで猶予してもらった。当初の予定では,帰国してからは到底まともな原稿を書けないであろうという見込みから,エアランゲンにて半年分(つまり夏休みまで)を書きためて,切り抜けようということであったが,一回目(したがって4月号)の原稿を書いただけでタイムアップである。2年の連載は,著者入院のため途中で中断,ということになりかねない。画期的な理論研究の過程でとかいうのではなく,刑法入門の原稿が書けずに病気になって入院なんてまったくさえない話だ。あるドイツの祝賀論文集の原稿も仕上げよう,などと考えていた私はバカでした。

この5日間ほどは,法務省法務総合研究所の調査旅行(高齢者犯罪の実態と処遇)のお手伝い。ミュンヘンで日曜にゲッセル教授を訪ね,火曜にシュトゥトガルト検察局(なぜか大学ではなく検察局)で講演を行い,翌日はエアランゲンに帰って,シュトレング氏夫妻や,お世話になった研究所の皆さんを招待してさよならパーティ,それから,部屋の片づけと本や資料の日本への発送で,おそらく出発日の前日まで大わらわということになろうかと思う。

ドイツにいて,もっぱら日本のための仕事をする。こんな在外研究はすべきではない。「ホテルに缶詰め」ではなく,いわば「ドイツに缶詰め」である。